ENEOSバスケットボールクリニック

スペシャルアドバイザー高木彰氏のコーチングクリニック

日本大学バスケットボール部、日本鉱業(現:ENEOS)バスケットボール部のヘッドコーチ時代を経て、1994年からジャパンエナジー(現:ENEOS)男女バスケットボール部の総監督に就任した高木彰氏。その高木氏が、「チームを強くするには?」ということを今一度考え、「チームを率いる指導者がはっきりとした理念を持てば、チーム力が底上げされるし、選手たちも上達する」という結論に達しました。高木氏が指導者の皆さんの悩みや疑問に答え、チームの発展に協力するクリニックです。

第13回:ルールの話

このWEBクリニックが始まってから、早いもので1年が経過しようとしています。
今回は、ちょっと横道にそれて、ということで、「ルール」という側面からバスケットボールを考えてみたいと思います。

【いろいろな顔を見せたルール変遷】

バスケットボールのルールは、(1)体の接触を禁ずる。(2)ボールを持って3歩以上歩いてはならない。(3)スピード感のある競技にする。という三つの基本的な考え方からなる競技スポーツです。
1891年。アメリカマサチューセッツ州スプリング・フィールド、国際YMCAトレーニングスクール。冬になると雪の多いこの地方。このスクールのジェイムス・ネイスミス教授が、外で体を動かすことができず、学生たちが運動不足になりがちの冬の間、屋内で手軽にできるスポーツとして考案したのが始まりだそうです。今はいろいろな文献にその歴史が記されていますが、生まれて僅か110年を超えたばかりです。

この競技が考え出された当初は、数十人が狭いコートの中でプレーをして、ドリブルが禁止されていて、パスだけでプレーをさせたそうです。ところが、学生たちがボールに集まって、ラグビーフットボールのようになり、怪我人が続出。冒頭の三つのルールが設定されたということです。

オリンピックが行われた翌年から、FIBA(国際バスケットボール連盟)セントラルボードによって、次のオリンピックまでの4年間のルールを変更する、とされていましたが、1984年(もう20年前になります)から世界選手権の終了後の変更とされたようです。
このサイトをご覧の皆さんはご存知でしたか?

最近のルール変更の中では、3ポイントルールが最も大きな変更点だと、私は思っています。それまで、ゴールを決めてオフェンスを成功させることを「2点取る!」などと表現していましたから、バスケットボールでゴールを決める、イコール2点だったのです。
それまで、シュートファウルをされて、ゴールが決まった時、ボーナススロー(フリースロー1投)が与えられて3点プレーになるルールが適用されていますが、ゴールからより遠いところからシュートに対し、3点としたことは後にバスケットボールをよりエキサイティングにするルールとなりました。

また、シュートクロックが設定されない時代から、30秒ルールが設けられ、更にシュートファウルのフリースローを拒否できた時代もありました。時代の流れとともに、バスケットボールがよりスリリングに、よりエキサイティングに、よりスピーディーに、いろいろな側面を見せながらルールの変更が実施されてきました。

「ルール」というと規則ですから、まずはやってはいけないこと、というのが先にたち、練習の時も「それはファウルになる」「ボールは10秒以内に運ばなければいけない」「それはトラベリングだ」というように、どちらかというと「縛られる」というイメージが沸くのではないでしょうか。

【ルールを熟知して、戦術的に研究をしてみる】

ルールも味方につけて3ポイントルールが施行されたのが1985年ですから、既に20年がたとうとしています。このルールがFIBAで実施される直前、アメリカのあるコーチからこんな話を聞いたことがありました。それは、アメリカの大学(全米大学体育協会→NCAA)には、「コーチコミッティー」(コーチ委員会)という組織があって、誰でも僅かな会費で入会でき、季刊誌が発行されている。その季刊誌には大学のコーチたちが、持ち回りで自分の得意な分野、例えば、「ディフェンス」や「オフェンスシステム」等をその季刊誌に発表することができ、申し込んだ会員のもとに配布される。ということでした。

1部校だけでも250校以上、30を超えるカンファレンス(リーグ・グループ)に分かれていますが、その各カンファレンスで、バスケットボールのルールについて、いろいろな角度から検討がなされ、1年間それぞれのカンファレンスでルールテストを兼ねながら、シーズンが終わると議論を重ねて、よりバスケットボールを面白いスポーツにして行こう。ということで、ルールが統一されていない時代がありました。

例えば、シュートクロックです。以前はシュートクロックが無い時代もあり、試合が終わると、21-22(延長戦)などという試合も多かったということです。
つまり、ティップオフで一旦ボールを保持すると、とにかく攻めない。相手のディフェンスがボールを取りに出てくるまで攻めないのです。5分でも10分でもボールをキープしている。確かに「勝つか」「負けるか」という意味ではファンは熱狂しているのですが、一言で言うと、バスケットボールは点取りゲームですから、面白みが無いということです。
そんなことから、どうやったら面白みがあるスポーツになるのだろうか、と考えて、シュートクロックを導入したのだそうですが、その時間の設定を何秒にしたら良いのか、各カンファレンスでテストし、それを持ち寄ってシュートクロックを決めたということです。

3ポイントルールの時も同様だったということです。NBAが先行していたこのルールを1年間テストし、得点がより多く取れてエンタテイメント性が高いことから、そのルールが採用され、その後国際ルールにも導入されました。
そんな時期に、インディアナ大学が全米NCAAトーナメントで優勝した時、高さや強さでゴール下を圧倒的に支配し、優勝の大本命に上げられていた、ケンタッキー州にある、ルイビル大学を相手に、小さいながら徹底した3ポイント攻撃で破ったことがありました。
その時に聞いた話ですが、速攻の時、ゴール下に近づかず、相手の守備範囲の外で3ポイントシュートを次々に決め、能力の高い、そして高さのある相手を圧倒したそうです。

アメリカのコーチたちはやはり「プロ」。3ポイントルールやシュートクロックを研究し、自分たちの特徴を生かした戦い方を研究し、そして徹底させる。
皆さんも一度ルールブックをよく読んで、ルールをいかに上手く利用するか考えてみる価値はありそうです。

次回は「練習メニュー(ドリル)」でお会いしましょう。

高木 彰氏プロフィール

高木 彰氏

1949年
1月22日生まれ 東京都出身
1971年
日本鉱業株式会社(現:ENEOS) 入社
1978年
現役引退後 同社バスケットボール部アシスタントコーチ 就任
1979年
日本大学バスケットボール部ヘッドコーチ就任
(全日本学生バスケットボール選手権大会  3回優勝
関東男子学生バスケットボールリーグ戦  3回優勝
関東男子学生バスケットボール選手権大会 2回優勝)
1986年
日本鉱業(現:ENEOS)バスケットボール部
ヘッドコーチ 就任
(全日本総合バスケットボール選手権  2回優勝)
1994〜1998年
ジャパンエナジー(現:ENEOS)男女バスケットボール部 総監督
1998〜2003年
バスケットボール女子日本リーグ機構 理事・広報部長
2004年〜
バスケットボール女子日本リーグ機構 理事
2003〜2014年
日本文化出版(株)月刊バスケットボール技術顧問
2004〜2008年
実業団男子バスケットボールチーム ヘッドコーチ
2009〜2010年
JBAエンデバーWG委員
2010年〜
東京国体成年男子アドバイザー・技術顧問

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