日本大学バスケットボール部、日本鉱業(現:ENEOS)バスケットボール部のヘッドコーチ時代を経て、1994年からジャパンエナジー(現:ENEOS)男女バスケットボール部の総監督に就任した高木彰氏。その高木氏が、「チームを強くするには?」ということを今一度考え、「チームを率いる指導者がはっきりとした理念を持てば、チーム力が底上げされるし、選手たちも上達する」という結論に達しました。高木氏が指導者の皆さんの悩みや疑問に答え、チームの発展に協力するクリニックです。
性格にもよると思いますが、自分の知らないことを他人に聞くことは勇気が必要です。ましてや多少たりともプライドというものが邪魔をすると、なおさら人に教えを乞うという行為は難しいものです。しかし、恥ずかしいからと意地を張って自分の考えたことだけをやっていても効率が悪く、なかなか前には進みません。
バスケットボールの指導者にも当てはまることだと思いますが、毎日現場で選手を指導していると技術的なことや、選手たちの精神的な問題、チームの運営上の問題等々、どうしても解らないことや判断に迷う事がベテラン指導者でもかなりあるものです。そんなときどうするかが大切だと思います。
どうも指導者には二通りのタイプがいて、自分が解らないことは書籍や資料を見たり、他の指導者や専門家に聞いたり尋ねたりが平気な人。もう一つは知らないのに知っているふりをする人。
前者は「一時の恥…」ということなどまったく意に介さず、何でも自分の知識(肥やし)にしてしまおうと貪欲で、選手をうまくする、チームを強くするということで頭が一杯。後者の場合は知ったふりをしたまま、というより知らないまま時間が過ぎてしまうので、自分が成長しないのと同時に選手やチームも成長しないのです。つまり効率が悪い。
後者は指導者仲間とあまり話をしたがりません。おそらく自分に知識がないのを悟られるのを避けるのでしょうか、そういった場所に自分から積極的に近づかない傾向にあるようです。
解らないことがあれば他から知識を仕入れてくればいいのですが、そういったことにもあまり関心がないのか、面倒なのか、今までの経験だけで指導現場に立っているようです。
ある指導者と話をする機会があったのですが、一般的な知識は持ち合わせていてオフェンスはこうだ、ディフェンスはああだ、という技術論の話をしますからそこまでは良いのです。ところが、試合等ででてきたミスについて、その修正方法をどうするか、というような話になったときです。「いつも選手たちにはいっているし、練習でやってもいるんです。だけれど全然理解してないんですよ。今の選手は自分で考える力が無いからだめですよね」ということでした。
これでは自分はちゃんと練習で指導しているし教えてもいるからやれない選手が悪い。つまりプレーがうまくいかないのはすべて悪いのは選手、ということ同じです。私は思わず「それは違うだろ!」と言いかけたのですが、普段あまり話をする機会が無い方なので、ぐっと押さえて会場を後にしましたが、何となくい釈然としないまま帰ることになってしまいました。
多くの場合、そのチームの選手たちはもっとうまくなろう、強くなろうと志を立ててチームに入ってきたわけです。将来は世界の舞台に立ちたいという夢を持っているかもしれません。極端に言ってそういった選手たちにいわば何も指導することなく選手が這い上がって来るのを待ち、できなければ悪いのは選手だから試合には使わない。ということであるとするならその選手たちは非常に不幸だと思うのです。
チームが強くなることや選手が上達することは指導者自身のためではありません。あくまでも選手たちのためなのです。ならば、自分が知らないことは恥ずかしいと思わないで知るようにすることが指導者の務めだろうと思います。たとえ知っていることでも他人に確認するようにすれば何か違った面に気が付くかもしれません。自分の知識が豊かになれば当然選手たちにとってもチームにとってもハッピーになるということです。
指導者自身が成長すれば当然選手たちもチームも成長します。頑張っている選手たちがどんどんうまくなって次の段階へスタップアップし、そこでまた成果が出れば自信が持てるようになり、人間的にも大きく成長していくはずです。そして、彼ら、彼女らが将来家庭を持って子供が生まれ、父親、母親になるときが必ず来ます。子供を育てていく過程で自分が学んできたことに信念を持って、それをはっきり伝えていけるような父親、母親になって欲しいと思います。
「お父さん、お母さんは若いときにこんなに頑張ったんだよ!」と胸を張って。
試合で結果を出すことが指導者の仕事です。だから指導者は孤独に感じるものですが、指導者同士のネットワークを広げ、仲間を増やして知識を広げられるように、助け合いながら選手たちの為にあらゆる方法で知識を広げそれを磨き、その知識を選手たちのために有効に生かす。切磋琢磨とはまさにそういうことではないでしょうか。
「世界の舞台に立ちたい」と関係者は誰しもそう考えています。それを実現に近づけるためには、指導者同士が輪を広げお互いに悩みを共有しながら、人に聞くことを恥ずかしいと考えずに前進していきたいではありませんか。