ENEOSバスケットボールクリニック

スペシャルアドバイザー高木彰氏のコーチングクリニック

日本大学バスケットボール部、日本鉱業(現:ENEOS)バスケットボール部のヘッドコーチ時代を経て、1994年からジャパンエナジー(現:ENEOS)男女バスケットボール部の総監督に就任した高木彰氏。その高木氏が、「チームを強くするには?」ということを今一度考え、「チームを率いる指導者がはっきりとした理念を持てば、チーム力が底上げされるし、選手たちも上達する」という結論に達しました。高木氏が指導者の皆さんの悩みや疑問に答え、チームの発展に協力するクリニックです。

第9回:指導者と選手の関わり【キーワードは「何故」】

知り合いの指導者にこんな方がいます。
その方が指導して卒業していった選手がそれぞれのカテゴリーで活躍していますが、試合会場に行くと時々、卒業生達のプレイぶりを観客席から見ている姿を目にします。挨拶がてら「どうしたの?」と尋ねると、「卒業生がお世話になっているので、挨拶がてら見に来ている」とのこと。
雑談をしながら試合を見ていると、会話の中に「随分顔つきが変わったな〜」「おっ、かなりいろいろなことができるようになったぞ」「体がずいぶん大きくなった」という表現が出てきます。

その指導者の方は全国でもトップレベルのチームを作る実績を持っているのですが、日頃の練習ではかなり厳しい指導をすることでも有名です。
その厳しさは技術的な側面もさることながら、選手たちのバスケットボールに対する取り組みやチームメイトとの協調性、チーム内外への気配り等々にミスがあるとより叱責が激しくなります。
しかし、いったんコートを離れるとコート上で叱責していたのが嘘のように、何もなかったかのように話しかけ、会話を交わしている姿が印象的です。選手もまた決して萎縮することなく、叱られたことなんかなかったように笑顔を見せながら話をしているのです。
おそらく「何故そういったことをおろそかにしてはいけないか」といことを普段から諭し続けていて、選手たちもそれを納得しているからだろうと思います。
これは選手たちのバスケットボールへの取り組みだけではなく、技術的な指導になったとき「どうやるか」ということより「何故やるか」ということの方が大切なことと同じです。

私などは瞬間湯沸かし器的な性格であるが故、選手を叱った後はしばらく口をきくのも腹立たしい思いが強く(自分に腹を立てている?)、なかなかそこから抜け出せないことが多かったのです。
コート上で叱ることと、コートを離れたときは自分自身が切り替えて別の次元で接していれば、もっと優秀な指導者になっていたのではないだろうかと考えさせられます。
キーワードは「何故」。

ようは指導する側が選手たちを「バスケットボールプレーヤー」としてだけでなく、「人」としても見ていることがかなり重要だということで、特に中学校、高校、大学の指導者は選手たちの「将来社会人になった後」まで見通せる長い目を持てるかどうか、ということではないでしょうか。
だから卒業して次のステップに進んだとき、その選手たちがそれぞれの環境でいかに順応して生活していけるかを考えていなければならない。つまり、その長い目がチームを継続させて行く為の要素でもある、と考えるべきなのでしょう。

指導者はいろいろな意味で選手たちの将来に大きく影響を与える存在で、それだけいろいろなことも勉強していかなければならない訳です。
私自身も高校、大学の選手時代を振り返って考えると、節目節目で指導者の考え方や、ある一言によって成長させていただいたことが思い出されます。また心の中には当時の大切な言葉が今でも残っているのです。
中学、高校なら3年間。大学なら4年間。社会人になったら引退するまで。バスケットボールから離れたらそれで終わりということではなく、ともに苦労しながら「勝利」を目指して四六時中コートの上に一緒にいた訳ですから、選手たちが一人の大人として大きく羽ばたいてほしいと考えるべきだと思います。

何年も時がたって、お互いにバスケットボールから離れてしまっているかもしれません。しかし、いつか街角でばったりと偶然出会ったとしても、「やー!元気か?」「その節はお世話になりました」と笑顔で再会できるような関係でいたいと思います。

件の指導者の方はいつまでたっても卒業生のことが気になっていて、私がたまたまそこを卒業した選手と関わるような場合がありますが、その選手が元気に頑張っている話をすると、とても安心した顔をしているのが印象的です。
こんなことがありました。たまたまその卒業生と一緒にいたとき、その方から携帯に電話があり、用事が終わってその選手に「◯◯さんから電話だよ」と言って替わったそのとき、急に緊張した様子で会話の口調が変わったのです。一言二言話をして終わり、私に電話を返してくれたのですが、そのとき「なんだ、まだ怖いのか?」と冷やかし半分に言ったところこんな答えが。
「いや、先生と話をするなんて恐縮してしまうんです」という答え。
『恐縮』。なんという言葉が飛び出したのだろうと驚いたことがありました。
その選手が恩師へどんな思いを持っているかが如実に理解できる一言でした。指導者と選手の信頼関係が伝わってくるではありませんか。
指導者と選手の信頼関係が、何年たっても変わらずに良い関係でいられるようになりたいものです。

高木 彰氏プロフィール

高木 彰氏

1949年
1月22日生まれ 東京都出身
1971年
日本鉱業株式会社(現:ENEOS) 入社
1978年
現役引退後 同社バスケットボール部アシスタントコーチ 就任
1979年
日本大学バスケットボール部ヘッドコーチ就任
(全日本学生バスケットボール選手権大会  3回優勝
関東男子学生バスケットボールリーグ戦  3回優勝
関東男子学生バスケットボール選手権大会 2回優勝)
1986年
日本鉱業(現:ENEOS)バスケットボール部
ヘッドコーチ 就任
(全日本総合バスケットボール選手権  2回優勝)
1994〜1998年
ジャパンエナジー(現:ENEOS)男女バスケットボール部 総監督
1998〜2003年
バスケットボール女子日本リーグ機構 理事・広報部長
2004年〜
バスケットボール女子日本リーグ機構 理事
2003〜2014年
日本文化出版(株)月刊バスケットボール技術顧問
2004〜2008年
実業団男子バスケットボールチーム ヘッドコーチ
2009〜2010年
JBAエンデバーWG委員
2010年〜
東京国体成年男子アドバイザー・技術顧問

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