ENEOSバスケットボールクリニック

スペシャルアドバイザー高木彰氏のコーチングクリニック

日本大学バスケットボール部、日本鉱業(現:ENEOS)バスケットボール部のヘッドコーチ時代を経て、1994年からジャパンエナジー(現:ENEOS)男女バスケットボール部の総監督に就任した高木彰氏。その高木氏が、「チームを強くするには?」ということを今一度考え、「チームを率いる指導者がはっきりとした理念を持てば、チーム力が底上げされるし、選手たちも上達する」という結論に達しました。高木氏が指導者の皆さんの悩みや疑問に答え、チームの発展に協力するクリニックです。

第7回:諦めない心

子供の頃、プロ野球選手を夢見ていた私は、今でもプロ野球の試合を見るのを楽しみにしています。

野球ファンにとっては、公式戦のテレビ中継が相当少なくなってしまい残念ですが、観ていてふと気になるのが実況や解説の方が使う言葉に「球際に強い」という言葉。
何となく感覚的には理解できるのですが、よく考えてみると表現が抽象的で、その言葉の意味を説明しようとするとかなり難しいような気がします。
一般的には、特に守備についている選手が、取れるか取れないかギリギリの難しいボールをキャッチしたような場合「球際に強い選手」という表現をしているようです。つまり守備範囲が広いことを指す言葉のようです。
MLBで際立っているのはイチロー選手。攻・走・守どれをとっても抜群の調整能力を持っていて、特に守備範囲が広さでは群を抜いています。そんなイチロー選手を見ていると、いとも簡単にキャッチしているように見えるので、高い技術や運動能力を持っているからできるようなイメージが強烈です。

それは野球だけではなく、他のボールゲームでも同じような表現を聞くことができます。
バレーボールの場合、相手にスパイクを打たれた後、床ギリギリに落ちそうなボールをコートにスライディングして片手で、しかも床とボールの間のギリギリに手を差し入れてボールを上げるようなレシーブをした場合。
サッカー等でも同じ表現がされているようです。オフェンスの選手がボールをドリブルしながらゴール前に進んでくるのに対して、それを守るために必死にボールとオフェンスの間に自分の身体を投げ入れてスライディングし、そのボールを身体の接触なしに外へ蹴り出したような場合も同様に、「球際」の強さを強調しているようです。

バスケットボールでも「球際」の話はよく出てきます。
例えば、コートのラインを割ってしまいそうなボールに対して身を投げ出すように外へ飛び出し、コートの中へボールを投げ入れ味方に繋ぐようなプレーを見せたときによく使っています。
そういったプレーが飛び出した場合、観客席、スタッフ、ベンチメンバーからプレーヤーに対して拍手喝采、「ナイスファイト!」といった声がかかります。
ひとつ間違えれば怪我にも繋がるような状況で、そんな危険よりチームの勝利のためにボールを繋ごうとする勇気。

当然、どんなボールゲームでも身体を投げ出してプレーするわけですから、身体的能力を高めるトレーニングやボールをとらえようとする技術的な要素も必要でしょうが、先程の「ナイスファイト!」という声からすると、その気迫が賞賛されているのです。

つまり「最後まで諦めない」という強い気持ちを、プレーで表現したところがカギになっているような気がします。

最後まで諦めないでボールを追いかけるから、その強い心がボールに手や身体を届かせ、味方のチャンスを演出することになるのです。そしてその姿勢が見る人を感動させるのだろうと思います。
取れるか、取れないかギリギリのところ。「取れそうもないや」と考えるのか、「絶対に取ってやる!」と考えるかで、結果に大きな違いが出るということのような気がします。
どんな状況でも絶対に諦めない心。
これはスポーツシーンだけのことではなく、何をしていても全く同じことが言えるのではないでしょうか。一つのことを途中で諦めることなく、可能性を信じてやり通す強い心と勇気が必要なのです。

東日本大震災から早くも4か月を過ぎようとしています。被災地の皆さんは今、復興に向けて少しずつ動き出していますが、まだまだ越えていかなければならない大きな壁が山積されています。実際に被災された方々の心の中がどれほどなのかは、報道の表面でしか判断できません。しかし現実はあの戦後最大とも言われる震災の後遺症から、立ち上がろうとされているのは事実です。
そのキーワードは“諦めない心”ということではないでしょうか。
我々世代ですら経験をしたことのない大きな災害を経験した今だからこそ、絶対に諦めないことの大切さを子供たちには伝えていきたいではありませんか。

高木 彰氏プロフィール

高木 彰氏

1949年
1月22日生まれ 東京都出身
1971年
日本鉱業株式会社(現:ENEOS) 入社
1978年
現役引退後 同社バスケットボール部アシスタントコーチ 就任
1979年
日本大学バスケットボール部ヘッドコーチ就任
(全日本学生バスケットボール選手権大会  3回優勝
関東男子学生バスケットボールリーグ戦  3回優勝
関東男子学生バスケットボール選手権大会 2回優勝)
1986年
日本鉱業(現:ENEOS)バスケットボール部
ヘッドコーチ 就任
(全日本総合バスケットボール選手権  2回優勝)
1994〜1998年
ジャパンエナジー(現:ENEOS)男女バスケットボール部 総監督
1998〜2003年
バスケットボール女子日本リーグ機構 理事・広報部長
2004年〜
バスケットボール女子日本リーグ機構 理事
2003〜2014年
日本文化出版(株)月刊バスケットボール技術顧問
2004〜2008年
実業団男子バスケットボールチーム ヘッドコーチ
2009〜2010年
JBAエンデバーWG委員
2010年〜
東京国体成年男子アドバイザー・技術顧問

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