5月15日、宮崎早織が2025-26シーズンをもって現役引退することを発表した。
圧倒的なスピードを武器とする司令塔は、ディフェンスにも定評があり、アグレッシブなプレーでチームをけん引。2023-24シーズンからは2シーズン連続でキャプテンとしてもチームをまとめている。
また、日本代表でも東京、パリと2大会連続でオリンピックに出場。昨年のパリ大会ではスターターとして奮闘した姿も記憶に新しいところだろう。その宮崎がなぜ今、引退を決断したのか。シーズン前に引退発表をした経緯などとともにその思いを聞いた。
私の中で東京オリンピック(2021年)以降、パリ・オリンピック(2024年)までは絶対に頑張ろうと決めていました。そしてパリオリンピックを終えたあと、(2028年開催の)ロサンゼルス・オリンピックを考えたときに(プレーを続ける)想像ができなかった。だから、ここが潮時で自分自身が綺麗に楽しく、バスケットボールを好きなまま終わることができるのは、このタイミングかなと思いました。これを逃すとバスケットボールが嫌いになったり、体力の衰えや限界を感じたりして辞めることになるのかなと。それは私自身が受け入れられないと思ったので、このタイミングがベストだと思い、決めました。
周りからは『何で今なの?』と言ってもらい、それはうれしいことではあるのですが、正直、東京からパリまでが過酷で。私の中では10年間ぐらいやった印象なので、やり切ったと思っているところはあります。
それと、一番輝いてるときに辞めたいという私の考えもあります。バスケットボール人生で手に入れたいものは全部手に入れてきたし、ENEOSに入ってから夢を叶えることもできました。だから次につかみ取りたいものがバスケットボールではなくなった。それがベストな返答かもしれません。あと5年プレーして辞めるのだったら、今潔く辞めて、次の人生でまた誰かの目標となるような人でありたいなと思っていますし、新しい目標を自分で見つけていきたいと考えています。ただ、新しい目標はバスケットボール人生を終えてから明確になると思うので、今はバスケットボールの最後の1年に懸けたいと思っています。
そうですね。それこそパリ・オリンピックで自分自身がそこまで活躍していなかったらこの決断には至らなかったと思うのですが、(オリンピック予選の)OQTでも、ある程度活躍できましたし、チームにとって必要な存在になれたと感じました。パリ・オリンピックでは試合には勝てなかったけれど、個人的にはいいパフォーマンスを出し続けることができたので満足ではありました。
基本は変わらずですね。楽しみたいと思います。ただ、チームが若いという言い訳は昨シーズンを通してみんなが経験を積んだのでできないと思っています。私も含めて『みんなで勝ちに行くチーム』を改めて目指したいです。
個人としては、すべてを出し切りたい。あとはケガなくシーズンを終えること。入団1年目のように、がむしゃらにやりたいです。
ここ何年かでそういったものも伝えてきたつもりではいるので、後は私の背中を見て「やっぱり優勝したいな」と思ってくれたらうれしいですね。
このチームの歴史や10連覇することには理由があるということは強く感じています。私はその連覇を重ねていく過程にいることができた。これは奇跡だったと思っています。勝つことに貪欲な先輩たちを何年も見てきました。その先輩たちと比べたら今の若い選手たちの『欲』はまだまだ足りない。ただ、今の若い選手たちは勝っていた時代を経験していないし、知らない。その中で私が経験したことを伝えていくことの難しさは感じますが、考え方によってはチームの新たな歴史を作っていくのに良いタイミングだとも思っています。若い選手たちが必死で何かをつかみ取ろうとしている中、私も一緒につかみ取っていくことができればいいなと思っています。
入団当時のENEOSは、日本代表でも活躍している選手が5人ぐらいいて、当然チームでもスターターで軸としてブレなかった。次に日本代表だけれど試合ではそこまで出ていないとか、ギリギリで日本代表のメンバー選考から外れるといったような中堅選手たちがいた。そしてその下に私たちのような右も左も分からないような若手選手というメンバー編成でした。だから私がまだ試合に出られないときなど、中堅の人たちが「試合に出られないけれど、やれることはまだあるよ」と、常に若手に伝えてくれる環境がありました。それは1人だけではなく5、6人ぐらい。でも、今はそのベースはありません。それは誰のせいとかではなく移籍が自由になったということもあると思います。チーム状況は変わりましたが、そこでいかに引っ張っていくか。その点で私もまだ学ぶことはたくさんあると思いますし、勝つため、新しく何かを作っていくためには覚悟が必要だとも思っています。
私も過去を振り返れば、若いときに覚悟があったかと言われたら、そこまでなかったと思います。先輩たちが勝っていく姿を見たり、日本代表を経験したりして、このチームでスターターになりたい、このチームで勝ちたいと思ってからがスタートでした。若いときはチームのことを考える余裕はないですから。だからこそ勝つために何が自分に必要なのかというアドバイスやサポートはしていきたいです。若かったときに頑張らなかったことの粗って年を重ねれば重ねるほど出てくることも強く感じていますから。
変わりたい、変わろうと思ったタイミングでみんなが手を差し伸べてくれました。先輩たちはやっぱり偉大です。勝つことに対しては厳しかったけれど、個人的に心が折れそうになったときに、「はい、倒れている暇はないです!」みたいな感じで声を掛けてくれた人たちは多かった。それは私が必死になっていたから手を差し伸べてくれたのかもしれないけれど、がむしゃらに頑張ろうとさせてくれたのは先輩たちでした。考えても見てください、あの黄金時代、吉田亜沙美、間宮佑圭、渡嘉敷来夢、岡本彩也花(ともにアイシンウィングス)、宮澤夕貴(富士通レッドウェーブ)、大沼美琴、藤岡麻菜美と一緒にプレーできる世界観なんてないですよ。ほんと何度も泣いたし、力不足だとも感じましたよ。今はあの時代を知っているからこそ、正直、勝てないことにもどかしさを感じることはあります。
私は他チームにENEOS以上の魅力を感じたことがなくて移籍を考えたこともありません。もちろん、若いときはほかのチームに行けば試合に出られるかなと思ったことがなかったわけではないですが。こうして今、ENEOS一筋で終えることができることにうれしく思っています。
ファンの方たちに何か恩返しをしたいと思ったときに、シーズンが終わってから引退と言うのは違うなと。先に伝えて一試合一試合を一緒に成長して終わりたいと思いました。
ないです! 「たくさん見て」と思います。私の最後のシーズン、全員見に来て、最後までチヤホヤして!と思いますね(笑)
実はやっと言えた開放感はあるんです。ずっと引退は考えていたので。もしシーズン後に引退を伝えたとき、最後のシーズンの試合を見に行けなかったというファンの方がいたらそれは私も嫌。だから、たくさんの方に言葉を掛けてもらいながら、チヤホヤされながら辞めるのが理想です(笑)
本当は2024-25シーズンで辞めようと考えていました。でも、(チームの成績から)こんな不完全燃焼での引退は無理だと思ったし、星杏璃と藤本愛瑚が膝の大ケガから復帰して期間が短かったので、まだ2人と一緒にやりたいなと。それがあと1シーズン頑張ろうと思った理由でした。
ラスト1シーズン。いろいろな人に会場でプレーを見てもらいたいと思っています。引退を早めに言ったことでずっとWリーグを見に行きたいと思っていたけれど、映像でしか見ていなかった人たちの来るキッカケにもなれば。私はケガがなく、全力で全試合出場したいと思っているので、ぜひ会場に足を運んで応援に来てくれたらうれしいです。