V3 [1961年 / 昭和36年] 第3回優勝
第32回都市対抗野球大会

大会に向けて

2回の都市対抗優勝に導いた増山桂一郎監督が、1959年をもって勇退。初優勝した時のチームで内野手だった井上茂が新監督に就いた日本石油野球部は、さらなる躍進を遂げる。

北崎健二が主将を務めた1960年の都市対抗は二回戦から登場。鹿児島市・鹿児島鉄道局との延長13回におよぶ熱闘を2対0で制すると、準々決勝では伊勢市・三重交通とスコアレスの投手戦を展開する。8回裏に1点を先制されるも、9回表に3点を奪って逆転勝ち。粘り強さを身につけた選手たちは、最後のアウトを取られるまで集中力のあるプレーを見せた。それでも準決勝では、2回目の優勝を果たす東京都・熊谷組に1対2で敗れ、当時は行なわれていた3位決定戦でも名古屋市・新三菱重工(現・三菱重工名古屋)に0対1で苦杯を喫する。翌1961年は、この2チームの打倒を目標にシーズンを迎える。

大会に向けて

予選

横浜市予選では日本鋼管に連勝したが、その原動力となったのは21歳のエース・佐々木吉郎だった。1950年の創部時から、東京六大学や東都大学リーグで活躍した選手を集めてチームを強化してきたが、一方では豊かな将来性を備えた高校生も採用。1958年に秋田商高から入社した佐々木は、その中から頭角を現した逸材だ。すでに2年目から都市対抗のマウンドにも立っており、4年目のこの年は、心技に充実していた。その佐々木と投げ合った日本鋼管のエース・杉本和喜代ら5名を補強し、十分に優勝できる戦力で第32回都市対抗野球大会が開催される後楽園球場へ乗り込む。

一回戦

この年は、前年王者の熊谷組をはじめ、丸善石油、八幡製鉄など黒獅子旗を経験したチームが相次いで予選敗退。都市対抗の厳しさは、すでに予選から感じられるようになっていた。ただ、日本石油にとっては優勝のチャンスだ。そのことをわかっている選手たちは、初出場の諏訪市・三協精機との一回戦からエンジン全開で突っ走った。

1回表二死から中山菅雄が二塁打を放つと、今西良雄は四球、枝松道輝の内野安打で満塁とし、中山歳夫が中前に弾き返して2点を先制する。3回表にも、石原正雄と今西の二塁打で相手の先発投手をKO。さらに、枝松からの3連打で4点を追加した。投げては、佐々木がキレのあるストレートを低目に決める危なげない投球で2失点完投。8対2で快勝する。

二回戦

二回戦は、メキメキと力をつけている京都市・積水化学との対戦だったが、佐々木の安定感は変わらない。打線が相手の技巧派左腕に手こずるも、佐々木は6回まで2安打でピンチすらない。しかも、3回表には野手陣に発破をかけるように自ら先制ソロ本塁打をレフトスタンドへ叩き込む。佐々木の投打にわたる活躍に刺激されたか、ようやく7回表に中山歳がソロ本塁打を放ち、続く8回表には枝松のタイムリーや代打・安井勇の3点二塁打などで5点を挙げ、7対0で大勝する。

準々決勝

こちらも初出場の熊本市・電電九州との準々決勝でも、先発の佐々木は8回まで3安打の自責点ゼロという内容だった。ただ、1回表に二死三塁、2回表にも無死満塁のチャンスを築きながら先制点を逃すと、3回裏には失策をきっかけに1点を奪われてしまう。内容では圧倒しながら、勝負の流れを持っていかれる嫌な展開だ。ようやく9回表、先頭の水野正雄(日本鋼管から補強)がセーフティバントと二盗と決め、途中出場の丹羽修一もバント安打で無死一、三塁。ここで、井上監督は佐々木に代打・中山菅を送る。中山菅が四球を選んで満塁にすると、北崎が中犠飛を打ち上げ、土壇場で同点とした。

その裏から杉本を投入。この大会初登板も、経験豊富な杉本は電電九州の打線を寄せつけず、13回表二死一、二塁から北崎が二塁手の後ろに落として決勝点。勝負の怖さを痛感させられるとともに、日本鋼管からの補強勢様様という2対1の辛勝だった。

準々決勝

準決勝

準決勝の相手は、強豪の姫路市・富士鉄広畑(現・日本製鉄広畑)だったが、準々決勝が引き分け再試合となっていた。前日は富士鉄広畑が再試合を行ない、日本石油は休養日に。佐々木、杉本ともに肩を休めることができ、絶対優位と言われる中でのプレイボールだ。

その通り、佐々木は富士鉄広畑にゼロを並べさせる完璧な投球。一方、富士鉄広畑の先発投手も4連投ながら気迫を前面に出し、5回までは試合が動かなかった。6回表、先頭の北崎が中前安打で出ると、バントで送って一死二塁。続く佐藤鉦司(日本鋼管から補強)が四球を選んだ際、北崎はバッテリーの一瞬のスキを突いて三盗を成功させる。四番の今西は二ゴロに打ち取られたが、北崎はスタートよく本塁への送球より早く生還。佐藤も三塁を陥れる。さらに、捕手からの送球を受けた富士鉄広畑の三塁手が、二塁へ向かう今西を刺そうとしたが、これが悪送球となって佐藤も生還。連打が望めなければ機動力で掻き回すという攻撃オプションの多様さが、息詰まる投手戦の雌雄を決した。とはいえ、21歳の佐々木は5安打完封。絶対的な投手力が、「1点を取れば勝てる」と野手陣に勇気を与えていた。

決勝

決勝に勝ち上がってきたのは、前年に借りを返そうと誓った新三菱重工である。一日400球の投げ込みでエースの座に就いた新三菱重工の左腕・鬼頭忠雄の先発を予想した井上監督は、打線に右打者を並べたものの、相手の先発は右腕投手。ただ、エースの鬼頭ではないと奮起した打線が、4回までに2点を先行する。

先発が佐々木なら、2点あれば十分……のはずが、この日の佐々木はストレートが走らない。4、5回と1点ずつを献上し、試合は振り出しに戻ってしまう。新三菱重工も2回途中から鬼頭を投入しており、追加点を奪うのは至難の業だろう。井上監督は、思い切って6回途中で佐々木から杉本に投手を代え、何とか流れを呼び込もうとした。

なかなかチャンスは訪れず、2対2のまま延長に突入する。迎えた12回表、先頭の枝松が中前安打を放つと、中山歳の送りバントが野選となり、水野のバントは内野安打に。堅実な攻めが一転、無死満塁の好機につながると、新三菱重工は鬼頭にリリーフを送る。代打の安井は打ち取られて一死。次の杉本に代打は送れない。だが、その杉本が二塁手の左を抜くヒットを放ち、2者が還って4対2と勝ち越す。その裏を杉本が抑え、日本石油は3年ぶり3回目の黒獅子旗を手にする。橋戸賞に輝いた杉本は、補強に呼んだ日本石油に感謝を述べ、「生涯忘れられない思い出」と受賞の気持ちを表現した。また、表彰式後のインタビューで「全員の力の勝利」と選手を労った井上監督は、「決勝点の場面、杉本君はスクイズのサインを見ていなかったみたいだね」と明かした。

決勝

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