ENEOSバスケットボールクリニック

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スポーツに関することを様々な人にインタビューしてお伝えする企画です

チームに数々の勝利と優勝をもたらしてきた
ENEOS野球部、大久保監督に聞きました!
【ENEOS野球部】大久保監督に聞いたモチベーションの保ち方とは?

大久保監督は、選手時代モチベーションをどのように保っていたのか、リフレッシュする方法などについて質問してみました!

常に勝つことを求められる指導者がどのように考えているのか、どのようにリフレッシュしているのか、指導者の方はぜひ参考にしてみてください。

選手時代にモチベーションを保つために意識していたことはありますか?

選手時代に、モチベーションを保つために意識していたことはありますか?

これね、よくモチベーションって聞かれるんですけど、野球でうまくいったり、いかなかったりで、嬉しいとか悔しいとかはあるけど、モチベーションがなんとかって全く思ったことがないんですよ。

そうなんですか!?
野球をやりたくないなぁと思ったこともないですか?

僕は今でも野球が大好きなので、そりゃあ練習がきついとかランニングやりたくないなぁとかはありましたけど、僕自身モチベーションが下がるみたいなのは感じたこともないし、思ったこともないですね。
ただ、選手もモチベーションが…ってミーティングとか面談の議題にはあがるので、指導者の立場としてそこは僕が理解していかないといけない部分で、どうやって対処していくのかを考えることはあります。

モチベーションを意図的に上げたり下げたりなんかは…?

モチベーションを意図的に上げよう、下げようなんてないですよ。
常に目標があって、例えば子供の時は甲子園に行きたいとか、大学野球なら早慶戦に勝つとか、社会人になったら都市対抗だし、オリンピックだし、プロだしみたいな。
常にそういう目標があったからモチベーションがとかはなかったね。
とくにプロに入ってからは目標から仕事になって、生活をかけないといけないから、モチベーションが上がる下がるなんて感じたことがない。

常に目標があってそこに向かって進んでいるので、モチベーションがどうかはあまり関係がないんですね!
ちなみに、ストレスがかかった時のリフレッシュなどはどうしていますか?

疲れたなぁと思った時は、健康ランドにいったりとか、今とやることはあまり変わらないです。
今の立場になって、月に1回マッサージに行くとか、髪を切るとかそういうのがリフレッシュになっています。
髪を切ってもらう時に顔とか剃ってもらうじゃないですか、その時に10分ぐらいですけど爆睡するんですよ。
で、その瞬間が一番深い眠りにつくみたいな。

リフレッシュ以外に何か他にしていることはありますか?

リフレッシュ以外に何か他にしていることはありますか?

リフレッシュ以外だと…
負けた時とかは何をするかというと、モチベーションとかよりも、髪を切ったりとか、着ていた服はもう着ないとか、験担ぎですね。
モチベーションどうこうよりも、験担ぎをすることの方が多いです。
靴下を左から履くか、右から履くかとか、ラインをまたぐ時に右からにしようか、左からにしようかとか、何か理由を見つけてやったりします。
あまりにも多いと疲れるから適度に。笑

今でも試合前におこなう験担ぎはありますか?

いろいろありますね。
例えば、今でも神棚には毎日手を合わせて、チームの安全と必勝を祈願しています。

選手にモチベーションについて聞かれたら…?

監督自身は、選手時代にあまりモチベーションを意識することはなかったとお話がありましたが、選手にモチベーションについて聞かれた時はどうしていますか?

まず、原因を知ろうとする努力をします。
精神状態が、成績が悪くて結果が出なくてそうなっているのか、それともチームスタッフとか家族とか恋人とか、対人の影響でそうなっているのか、原因を明確にします。
対人であれば、指導者の一言がすごく気になってプレーに支障が出ていることもあるからね。
技術的なことであれば指導で解決するだろうし、いずれにしても原因が明確にならないと適切な対処法もわからないからまずは原因を知る努力が大切です。

まとめ

大久保監督は選手時代、モチベーションについてあまり意識したことがないというお話には驚きました!
常に目標があって進んできたからこその感覚に尊敬しかありません。
そして、大久保監督は選手のモチベーションについてもしっかりと考えています。
選手のモチベーションについて悩んでいる指導者の方は、大久保監督のように原因を知るところからはじめてみてください。

大久保監督の経歴
桐蔭学園高3年時に県大会を優勝、関東大会ベスト4
慶應義塾大学進学後、1991年の東京六大学野球ではキャプテンとして春秋連覇
1992年に日本石油に入社 1年目からレギュラーを獲得 都市対抗野球大会史上初の代打満塁本塁打を記録
在籍5年間で都市対抗野球2度の優勝、社会人ベストナインを4度受賞
1996年のアトランタオリンピックでは、銀メダルを獲得
1996年ドラフト6位で近鉄バファローズに入団
2001年現役を引退
2002年からは近鉄バファローズで球団広報を務めた
2004年からは湘南レーシック(現・横浜DeNAベイスターズ)の打撃コーチを務めた
2005年オフ古巣であるENEOSから監督就任の要請を受け湘南を退団(2014年まで)
田澤純一や大城基志をエースとして育てる
都市対抗野球大会では2008年、2012年、2013年の3度優勝しており、史上最多タイに並ぶ、2012年の日本選手権でも優勝し、同年は都市対抗・日本選手権「2冠」を達成
2015年から2019年は、慶應義塾体育会野球部の監督を務めており、2017年秋季、2018年春季、2019年秋季にリーグ優勝、同年の明治神宮大会では優勝し日本一となる
2020年よりENEOS野球部の監督に復帰 就任1年目で都市対抗野球の本戦出場
2022年には、9年ぶり12回目の都市対抗優勝を成し遂げる
監督して都市対抗4度の優勝は歴代最多、現役を含め都市対抗6度の優勝を経験

当時から将来は慶應大の監督候補とも言われていた
27歳でプロ入りを心配する声もあった
プロ入り後は、右肩痛に悩まされて外野手を経験

(取材・構成:渡邉祐人)

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