ENEOSバスケットボールクリニック

聞いて! 答えて みんなの声

バスケットボールに関することを様々な人にインタビューしてお伝えする企画です

サンフラワーズ引退選手による特別対談吉田亜沙美 大崎佑圭 藤岡麻菜美 対談(後編)

ENEOSサンフラワーズ(以下サンフラワーズ)と日本代表で活躍した3選手が、自身の引退のこと、サンフラワーズ時代の話、競技の一線から退いて見えたこと、今後のコーチ人生のことを語り合った。後編はコーチとして教えたいことや、それぞれの今後の生き方についての話をお届けします。

コーチとしてウインターカップ初出場

藤岡さんは昨年12月に母校・千葉英和高のアシスタントコーチとして、6年ぶり3度目のウインターカップの出場権をつかみました。選手時代は出場できませんでしたが、コーチとして出場したウインターカップはどんなところでしたか?

藤岡

恩師の森村(義和)先生のもと、私はアシスタントコーチという立場でしたが、メインで練習を見させてもらいました。コロナで制限がある中で選手たちが本当に頑張って出場権をつかんだので、すごくうれしかったですね。ただ、6年ぶりといっても選手たちにとってみれば初めてのウインターカップだったので、フワフワしちゃって何もできなくて、「これがウインターカップなのか」「久々に全国に出るというのはこういうものなのか」という思いでしたね。

どんなところがフワフワしちゃったのでしょうか?

藤岡

ノーマークのレイアップが入らない、フリースローが入らない。まったくシュートが入らない試合で、練習してきたことが全然できませんでした。そもそも、出場することが目標だったので、出場したことでOKになってしまったんですね。「ウインターに行けたね、やったね」って。コーチができることって試合前までのことなんだな、コートでは選手自身がやらなきゃいけないんだなと痛感したので、全国で勝ちたいというモチベーションが出るように指導しなければと思いました。それには、全国にコンスタントに出場して、全国の舞台に慣れることが重要なので、ウインターカップに出た選手や卒業生たちは自分たちの経験を後輩たちに伝えてほしいですね。

コーチとして教えたいこと、伝えたいこと

皆さん、引退してコーチになりました。コーチとして選手たちに教えたいこと、伝えたいことは何ですか?

藤岡

高校の現場で指導してみて、選手に対して怒ったり、喜んだり、褒めたりすることは、あくまで自分がやりたいバスケを教えているだけなんだな、ということに気づきました。子供たちがどこを目指しているかをまず明確にしてあげて、そのためにどうしていくかをコーチが全部を決めるのではなくて、枠組を作ってあげて、その中で自由にやらせるというか、子どもたちに主体性を持たせてやらせてあげたいです。

高校入学前の中学生が練習に来ることがあるんですけど、中には中学で教わったやり方しかしない選手もいます。小中学生に「これをやったらいけない」と指導すると、子どもってそれを守るんですよ。でも「違う方法でやってみたら」とアドバイスすると、意外とできるものなんです。違う方法でもできることを知ってほしいし、その子ができる幅を広げてあげたいですね。

大崎

教える立場といっても、私の場合はリュウさん(吉田)やネオ(藤岡)とは違って、チームではなくENEOSクリニックで指導していて、今だとリモートでのクリニックがメインになっています。基本技術の指導や、質問がくればセンターについての悩み相談を指導しています。正直なところ、今は選手時代のネームバリューでやらせてもらっているところがあるし、性格的にもポジション的にも、私は指導者には向いていないと思ってるんですね。

選手時代、コート上でリーダーシップを発揮していたので、教えるのは得意だと思っていました。

大崎

いやいやいや。私はコートでもリュウさんに使われる立場だったし、使ってもらってナンボの選手だったので、ゲームの組み立てなんかは一切できないですよ。リュウさんは「次はこのプレーをやってみよう」とみんなに声をかけて率先してやっていたので、「すごい!リュウさんの頭の中はどうなっているの?」と常に思ってたんですけど、それが私にはできない。リーダーシップがあると言っていただきましたが、それは指導者としてチームを率いて勝利に導くリーダーシップではないので、別物だと思っています。なので、教える側としては、アシスタント的に支えていく方があっていると思っています。

たとえば、ENEOSクリニックでも質問を受けつけているのですが、センターとしてどう攻めたらいいか、という質問が来たときには私の経験を伝えたいですね。とくに今は生粋のセンターが少なくなっていて、オールマイティーに動きたい選手が増えていると思うんです。それでも、センターとして身体をしっかり作ることや、土台となる技術は教えたいし、時代のニーズにあったスキルを教えていきたい思いはあります。のちにはENEOSクリニックだけじゃなく、ビックマンのキャンプをやってみたいですね。ネオ(藤岡)が「高校生にセンターの技術を教えてよ」というなら教えに行きたいし、私にはスポット、スポットで教えるほうが合うのかなと思います。

藤岡

おお!メイ(大崎)さん、ぜひお願いします!(笑)

吉田さんは東京医療保健大学のアシスタントコーチに就任しました。東京医療保健大でコーチをすることになった理由と、大学で選手に教えたいことを聞かせてください。

吉田

今年の2月から、ヘッドコーチの恩塚亨さんの下で勉強させてもらっていました。最初は春先までの期間限定だったのですが、恩塚さんから「4月以降もコーチをしませんか」という話をいただいたので、すぐに「やります」と返事をしました。東京医療保健大学ってすごく素敵なチームなんですよ。私がコーチをしようと決断できたのは、恩塚さんとスタッフ、熱心な選手たちの存在があったからなんです。こんな素敵なチームの仲間になれるのがすごくうれしかったので、コーチをする機会を与えてもらったことに感謝しています。これからも、選手たちと一緒にいろんなことを学びながら成長していきたいし、使命感を持ってコーチを務めたいです。

ゆくゆくはヘッドコーチとしてチームを指揮したい思いはあるのですか?

吉田

今はヘッドコーチになりたいという願望はないです。今はアシスタントコーチの経験を積んで、チームを作るコーチングを学びたい思いだけですね。バスケットはチームをどう動かすかが大切なので、チーム作りや選手をどう育てるのかを学びたい。とにかく、30代はなんでもやろうと思ってます。

やる気満々ですね。

吉田

今はワクワク感でいっぱいですね。

以前、ガードのスキルを教えるコーチになりたいと言っていましたが、これも実現したいコーチ像の一つですか?

吉田

はい。ポイントガードを専門に教えるコーチがいてもいいな、というのは現役時代から考えていたことで、ゆくゆくやりたいことなんです。NBAだとセンターやシューター専門とか、それぞれのポジションを教えるコーチがついていますよね。女子にもそういうコーチがいてもいいんじゃないかな。そのベースになるのは自分がやってきた経験。ガードとして必要なスキルを教えるのはもちろんですが、どんな視点で、どんな心構えでゲームを作るのか、ポイントガードとして勝利に導けるよう使命感と志を持ってやることを伝えたいですね。

自分が思い描くコーチ像

皆さんのコーチ人生は始まったばかり。将来はこんなコーチになりたい、というコーチ像を聞かせてください。

大崎

先ほども言ったのですが、私はチームを率いるヘッドコーチはできないですが、センターを教えたり、選手にアドバイスをするアシスタントを務めるには最適だと思っています。とくにトム(ホーバス・ヘッドコーチ)に教わったセンターのスキルとマインドは若い子たちに教えていきたい。選手時代に培ってきた経験はインプットするだけでなく、アウトプットしていきたいですね。今はENEOSクリニックになりますが、プレーにしろ、精神面にしろ、必要としている人たちに教えることができればいいなあと思っています。

吉田

自分がキャプテンをしていた時もそう思ってましたが、「この人だったらついていきたい」と思ってもらえるように、トムが私たちを教えてくれた時みたく「この人のもとなら絶対に勝てる」というように、選手とコーチが信頼し合える関係を作りたいですね。同性だからこそ分かりあえるところもあると思うし、時には厳しく、でもそれだけじゃなく、この人が教えるバスケは楽しいと思ってもらえるようにコーチングできたらと思います。

バスケは自分のためだけじゃなく、周りをハッピーにすることができるんです。自分も誰かのために頑張ることがエネルギーになったので、思いやりを持ってプレーできることがどんなに素敵なことなのか、バスケットは思いやりの中でやるチームスポーツということを伝えていきたいですね。

藤岡

私は選手が主体性を持ってやれるように、選択肢を持たせてあげられるコーチになりたいです。それと、これは自分自身のことなんですが、先ほど(インタビュー前編)も言いましたが、競技を離れてみたからこそ、今思う感情があります。それは「バスケットは楽しいな」という感情で、競技の第一線から離れて高校生たちの指導に関わることで思い出したというか、見えてきたというか……。「今、バスケットをやったら楽しいんだろうなあ」という思いが出てきたんです。私の場合はそう思えないときに辞めてしまったので。だから、これからもバスケットは楽しいという思いを大切にしていきたいです。

コロナ禍で頑張る選手たちへ

コロナ禍で頑張っているバスケ選手たちにメッセージをお願いします。

吉田

今は部活動や練習時間が制限され、我慢して苦しい時期だけど、辛くて頑張っているのは自分だけじゃなくて、全世界の人が同じだし、全世界のアスリートもこの辛い中でやっているので、苦しんでいるのは自分一人じゃないんだよ、ということを忘れないでほしいですね。そんな辛い時期に、誰かに元気や勇気を与えられることは、スポーツだからできることだと思っています。今は我慢の時期だからこそ、いつかきっとハッピーなときは訪れる。この先の未来のほうが長いのだから、この苦しさを一緒に乗り越えていきましょう。自分もコーチの立場からできることを発信していきます。

大崎

自分が子育てをするようになって、いろんな立場からの見方があることを痛感しています。アスリートに寄り添うのであれば「頑張れ」という言葉が出てくるのですが、ただ「頑張れ」という言葉をかけるのは酷であって、難しいとも感じます。

今は辛抱の時期で、一歩一歩進んでいく時期なのかな。トムがサンフラワーズのヘッドコーチの時に「昨日より今日、今日より明日はもっとうまくなろう」という言葉をかけてくれたのですが、それが今の状況に当てはまると思う。だって、みんな頑張っているよね。頑張り方に違いはあるかもしれないけど頑張ってる。だから一歩一歩、踏みしめるように生きていきましょう。私もそう生きていきたい。今はそれくらいしか言えないけれど、一歩一歩、歩いて行きましょう。

藤岡

自分は高校生を教えていて、なかなか思うように部活動ができないことや、好きなバスケが自由にできないこの状況は本当に深刻だと感じています。でも、人は制限があるからこそ、何か新しいものを生み出していけるパワーもあると思います。このコロナ禍にはリモートワークが開発されて、新しい働き方が出てきましたよね。それはバスケにおいても共通で、リモートワークを通じてディスカッションしたり、勉強できる機会も増えました。これから新しいものを生み出していけるように前向きに取り組みたいですし、選手の皆さんも今やれることを見つけて取り組んでほしいと伝えたいですね。

2021年5月6日、藤岡麻菜美がWリーグの選手として復帰することを、所属先のシャンソン化粧品が発表した。現在、アシスタントコーチとして指導している母校・千葉英和高校のアシスタントコーチ業も続行。いわゆる「デュアルキャリア」としての再出発である。藤岡はこの対談の中で何度も「今はバスケが楽しいと思える」という言葉を発している。競技の第一線から離れ、高校生の指導に携わったことでバスケットボール選手としての原点や楽しさを思い出したのだ。

Wリーグの選手を辞めて、高校生のコーチをして、一周回ってバスケは楽しい、バスケがしたい、という思いにたどり着きました。引退したことでその気持ちに気づけたので、あのタイミングで退団したことは良かったと思っているし、様々な経験をさせてくれたサンフラワーズに感謝しています」と語る。Wリーグの選手として、高校のコーチとして、誰も歩んだことのない道を切り拓いていく藤岡麻菜美。これからの活動を楽しみにしたい。

吉田亜沙美 Asami YOSHIDA1987年10月9日生まれ/東京成徳大高出身/165㎝/PG

スピードを生かした絶対的司令塔として、長年にわたりENEOSと日本代表で活躍。ENEOSでは11連覇のすべてに貢献した選手。2013年、2015年のアジアカップではベスト5を受賞。ENEOSには14シーズン在籍し2020年春に退団。2021年1月、現役引退を発表。今春から東京医療保健大のアシスタントコーチに就任。

大﨑佑圭 Yuka Ohsaki1990年4月3日生まれ/東京成徳大高出身/183㎝/C

フィジカルの強さを生かしたインサイドを軸にENEOSと日本代表で活躍。2013年のアジアカップではベスト5を受賞。ENEOSに9シーズン在籍し、2018年に出産のためにWリーグ登録を見送る。2020年2月のオリンピック最終予選で日本代表に復帰し、2020年8月に引退を表明。現在はENEOSバスケットボールクリニックでコーチを務める。

藤岡麻菜美 Manami FUJIOKA1994年2月1日生まれ/千葉英和高→筑波大出身/170㎝/PG

視野の広さから繰り出すアシストとドライブを得意とする司令塔。U16〜U19すべてのアンダーカテゴリー代表に選出されて活躍。筑波大4年次にはインカレ制覇、2017年にはアジアカップ優勝に貢献してベスト5を受賞。ENEOSには4シーズン在籍し、2020年春に現役引退。現在は千葉英和高のアシスタントコーチを務める。

(文・写真:小永吉陽子)

TOP