ENEOSバスケットボールクリニック

聞いて! 答えて みんなの声

バスケットボールに関することを様々な人にインタビューしてお伝えする企画です

吉田亜沙美 大崎佑圭 藤岡麻菜美 対談(前編)

ENEOSサンフラワーズ(以下サンフラワーズ)と日本代表で活躍した3選手が、自身の引退のこと、サンフラワーズ時代の話、競技の第一線から退いて見えたこと、今後のコーチ人生の話などを語り合った。前編は引退の決意とサンフラワーズ時代の話をお届けします。

コロナ禍の中で決意した現役引退

それぞれ、引退を決意した思いを改めて聞かせていただけますか。

吉田

今年の1月に引退発表をしました。発表するまで時間かかりましたが、年内は自分と向き合って自分の時間を過ごし、年が明けてから報告しようと思っていました。決断したことを自分の口からファンの皆さんに伝えたかったので、自分の言葉で伝えられて良かったと思っています。

一度目の引退のときは、辞めてから半年経ったときに「もう一度バスケットをやりたい。東京オリンピックに行きたい」と思って挑戦を決めたので、今回もサンフラワーズを退団してから半年待ってみようと思ったんです。でも、半年経ってもバスケットをしたいと思うことはなかった。11月のナイキのイベントでボールを久々に触り、子どもたちにバスケを教えたときにとても楽しいと思えた。もともと、指導者になりたいと思っていたので、そのイベントで子どもたちを教えたことがきっかけで、自分の中ではもう指導する方に気持ちが向いていることに気づけたんですね。それで、年明けに引退の報告をさせていただきました。

大崎

私は2018年に第一子を授かった年は「Wリーグに登録しない」という形をとりました。あえて引退という言葉を使わなかったので、どちらかというとフェードアウトした感じがありました。そのときファンの声は「お疲れ様」というより、「もう一度やらないの?」「東京オリンピックには出ないの?」という復帰を望む声のほうが大きかったんです。だから出産して子育てをしているときは宙ぶらりんという感じがして、ちょっとしんどいな、と思っていました。

今回、東京オリンピックに出たいと復帰して、その夢はかなわなかったけれど、できる限りのチャレンジをして、「引退」という言葉を言えたことは良かったと思っています。自分の口で引退を伝えたら、こんなにも「お疲れ様」という言葉を言ってもらえるんだと実感しています。これからもクリニックなどでバスケには携わっていくけど、第一線でやるバスケからはお別れというケジメけじめもついたし、やっと前を向いて進めることができたのでスッキリしました。

藤岡

私はサンフラワーズに4年在籍して引退しました。4年の間に怪我もしたし、病気もしたし、体も壊したし、色々なことがあったけれど、どちらかというと、気持ちの部分でついていけなくなって引退を決意しました。今思うと、引退を決めたときは「バスケはもういいや」と投げやりな感じになっていましたね。「ここでバスケを辞めて次の道にいく。それが私の人生だ」と思っていました。その時は「よし、もうこれでいい」と言い聞かせて、次の道に進んだ感じでした。でも今は、一回バスケットから離れてみたら「世界ってこんなに広いんだ」って思うことができて、辞めてまだ1年くらいですけど、たくさんのことに気づけました。だからこそ今の感情……「バスケットは楽しいな」と思えることに気づけたので、引退して良かったと思っています。

吉田さんと大崎さんが日本代表の活動をしないと決意した背景には、東京オリンピックが1年延期したことが理由にありました。やはり、あと1年間モチベーションを保つことは難しかったのでしょうか?

吉田

オリンピックが1年延期になったときに、「もう1年、気持ちが保てるの?」とそこは疑問に思っていました。若い選手にとっては延期したことは良かったと思うんですよ。その1年でもっとうまくなれるし、成長できるから。でも自分くらいの年齢でベテランと呼ばれている選手の「あと1年」ってすごく長いんです。私は膝を大ケガしていたので、ケガのリスクもありました。今年、オリンピックを120%絶対にやるんだと決まっていたら話は変わったかもしれないけど、やるかやらないかわからない状況だったので、踏み出せないところはありました。

でも、こうなったのも人生。この先のほうが人生は圧倒的に長いのだし、これが自分の人生。かなり悩んだけど、コロナのせいだと言っていても何も始まらない。最初は悔しい気持ちがあったけど、最終的に決断したのは自分なので、そこは割り切って次の道に進みます。

大崎

私はオリンピックの挑戦を辞めることを決めざるを得なかったですね。続ける選択肢も考えたことはあったんですけど、「あと1年」って相当重たいです。ただでさえ、現役をやっていても1シーズンやると身も心も削られるので、この状況であと1年間も不透明な目標を持ち続けることは私自身が望んでいたものではありませんでした。悩みましたが、1年延期と決まった時点で、ほぼ心の中は決まっていました。昨年、東京オリンピックを目指して日本代表に復帰して、ベルギーでのオリンピック予選(2020年2月)でやったバスケットは本当に楽しかった。日本代表としても、自分としても、このまま続けて行けばという期待値が上がり、復帰に関してはいいスタートが切れました。ここまでやったのに…という思いはあったけれど、こればっかりはしかたないですね。

競技者から離れて見えた景色

吉田さんと大崎さんは一度、競技から退いて復帰しています。競技することから離れてみて、見えた景色は違いましたか?

吉田

私が一度目に引退した理由は勝ち続けることが苦しくなったからで、その時に辞めたことには後悔していません。いずれは指導者になると決めていたので、辞めたあとはいろんなカテゴリーの練習や試合を見に行ってました。それにプラスして自分の好きなことをしているうちに、張り詰めていた気持ちが落ち着いてきたんです。勝ち続けるチームにいるのが苦しくなって、そのプレッシャーから解放されたくて選手生活を辞めて、好きなことをしていたのに、「何かが足りない」「刺激が足りない」となったんですね。それは、今まで勝負の世界でずっと生きてきたからで、1回辞めて競技から距離を置いて違う生活をしてみて気づけたことです。

「もう一回バスケをやりたい」と思えたのも、バスケから離れた6か月があったからだし、その6か月があったから、東京オリンピックに挑戦したいとも思えた。ずっと選手を継続していたら、もしかしたら中途半端で終わってしまい、東京オリンピックに出たいとも思わずに辞めていたと思う。自分勝手でわがままな行動で迷惑をかけましたが、自分にとっては、外の世界を見ることができたすごくいい期間だったと思います。

大崎

外から見る景色は違いましたね。一度バスケから離れたからこそ、バスケができる環境が当たり前ではないことも知ったし、様々なことに気づけました。

また、子どもを産んでからはガラッと精神面が変わりましたね。さらに強くなったと思います。復帰したときに焦らずに強い気持ちで取り組むことができたのは、支えてくれる人たちに感謝する気持ちを忘れなかったからです。バスケができる毎日に感謝して、「以前のようなプレーができなくても当たり前。明日には何ができるかな」という、目の前の一歩にフォーカスできるようになったんです。そう思えるのが幸せでした。復帰した時にいちばん現役と違ったことは、バスケをやっていても、バスケだけではなかったことです。帰ったら家族がいて、子どもがいる。支えてくれる家族がいることで強くなれました。辞めてからのほうがメンタルは強くなったと思います。

藤岡

私は競技から離れたことが自分の人生において本当に良かったことだと思っています。バスケのコーチをしながらだけど、社会人として全然違う景色を見たからこそ、今の考えに至るというか。先ほども言いましたが「今だったらもっとバスケが楽しめるな」という考えに至りました。だから辞めてよかったな、そこに気づけたことが、すごく良かったなと素直に思います。

Wリーグ女王としての使命

吉田さんが「勝ち続けることが苦しかった」と言うように、サンフラワーズの選手たちは勝利することを宿命のようにプレーしています。常勝軍団の中でプレーするメンタル、勝負の世界で戦うメンタルとはどういうものなのでしょうか?

吉田

自分は……本当に苦しかったですね。もし自分たちが負けたら、勝ったチームが取り上げられるのではなく、「JXが負けた」と書かれる。それは対戦相手がかわいそうだし、そりゃ、自分たちだって負けるときもあるよ。ずっと勝っていられないよ、と思うこともありました。トム(ホーバス)がヘッドコーチをしていたときは一度も負けていないから、そのあとにリーグで1回でも負けると「JX連勝ストップ」みたいな言われ方をして、そんなに騒ぐなと思っていました。

自分がキャプテンのときは、より勝たなきゃいけないと思ってやっていました。勝ちたいじゃなくて、負けてはダメ、勝たなきゃいけないという、追い込まれた中でやっていました。もともと好きで始めたスポーツなのに、楽しむということを忘れて仕事という義務でやっていた…という思いはサンフラワーズの選手の中にはあったんじゃないかな。それくらい、勝ち続ける難しさと苦しさはやっている選手にしかわからないことだし、勝ち続けるのは苦しかったかなあ……。

大崎

日々の練習で身も心も削られていくから苦しくなるんですよね。リュウさん(吉田)はキャプテンだから余計に背負っていたと思います。ただ私は、これが大変だった!というのは、今改めて考えてみると思い浮かばないんですよ。それは、優勝という結果を得ると、日々の大変さがなくなってしまうから。毎日の練習は本当にきつかったけど、それも結果が出ると忘れてしまうほど、優勝という結果の喜びは大きいんですよね。

藤岡

私はリュウさんやメイさん(大崎)と違って4年しかいなかったですけど、アジアカップでベスト5を獲ったあとに骨盤をケガして、さあ頑張るぞというときにシーズンを棒に振ったことが悔しかったです。そして翌年、リハビリをして復帰した3年目のシーズン(2018-2019)はもっと苦しかったですね。リュウさんがバックアップになって、私に任せると言ってくれたのに思うようなプレーができない。自分自身もアジアカップのようなパフォーマンスを期待していたから、フラストレーションはありました。それに、その年はメイさんが出産でいないシーズンだったのも辛かったです。私としては話を聞いてくれて、合わせてくれるメイさんの存在は大きくて、いろいろ話をしてプレーしたい思いがありました。頑張ってもうまくいかない中でも、勝たなきゃいけない気持ちを抱くのはしんどかったです。先輩たちはこれをずっとやってきているのですごいな、と思います。

どこよりも練習していたプライド

サンフラワーズの選手に聞くと「勝つための練習をどこよりもしている」と皆さんが言いますし、実際に練習もハード。現役時代、どこよりも勝つための練習をしてきたという自負はありますか?

大崎

それは絶対にありますね。トムが代表ヘッドコーチになったときに真希ちゃん(デンソー、高田)から「この練習いつもやっているの?だったら優勝するわ」って言われたんですよ。そのとき改めて自信がついたし、「やっぱりそうだよね」と思いました(笑)

吉田

サンフラワーズはディフェンスからブレイクで走る速いバスケットをやっていて、走れるセンターがいる。走ることは日々の練習の積み重ねもあるけど、走ろうと思わないと走れない。その意識の差を練習から妥協せずにやってきました。だって、いちばん大きいタク(渡嘉敷)が先頭を切って走るんですよ。それは走ることが当たり前だと意識しているから走れるんです。ガードとしては、走っている人にパスを入れるほうが簡単。さっきは苦しくて…と言いましたが、そういう走るバスケができたのは本当に楽しかったなあ。

藤岡

サンフラワーズにいると大きい選手が走るのは当たり前なんだけど、実際、自分が高校生を教えていて、走れるのは当たり前じゃないんだ。意識と練習が必要なんだと思いますね。

吉田

細かいところまでやるのがトムだから。スクリーンの角度まで徹底している。だからトムがヘッドコーチのときはどこにも負ける気がしなかった。あのシーズンだけは不安がなくて、絶対に優勝すると思っていたかな。

藤岡

私がトムさんに教わったのは新人のときだったので、Wリーグって、こんなに練習が厳しいのか……と思いましたね。

大崎

トムの練習で何が疲れるかというと、頭をめっちゃ使うこと。特にディフェンスでは頭をめちゃめちゃ働かせました。トムは「うまくいくかわからないけど、次はこれをやってみたい」と言って、どんどん新しいことにチャレンジして、私たちに課題を与えてくれたので、こっちも勉強になりました。とくにディフェンスのパターンがいろいろあって、すごく面白かった。リュウさんが言ったように、本当に負ける気がしなかった。どれだけ大差で勝つか、内容を良くするかというシーズンでしたね。

あと私は、トムにインサイドのスキルを教えてもらったので、よりトムの存在は大きかったです。自分が入団して半年後にトムがコーチとして入ってくれて、私やタクにつきっきりで指導してくれた。もともと、コンタクトプレーは好きでしたが、トムにインサイドのスキルを教わったので自信を持てるようになりましたね。トレーニングもたくさんしたなあ。朝の7時からベンチプレスをあげたり…(笑)

吉田

朝練のベンチプレス!やっていたねー(笑)

大崎

朝練では寮生がシュート練習をしているのに、センター陣はフィジカル強化期間ということで朝練でベンチプレスをあげてました。あれはきつかった(笑)。寮生のときなんか、それこそ一週間くらい外に出ないで体育館と寮だけの生活は普通にありましたね。一人暮らしをするようになって、そこでリフレッシュできて、「もう少し選手生活を頑張れそうだな」と思ったのを覚えています。

藤岡

私はまだ寮生だったのと、リハビリをしていたので体育館にずっといた記憶があります(笑)

吉田

私が忘れられないのは、優勝したときトムに「勝ってホッとしたと思うのではなく、うれしいと思ってほしい」と言われたこと。あれはハッとしましたね。確かに、優勝すると「ああよかった。今シーズンも無事に終わった」と思ってしまい、うれしいという感情はなかった。本当はバスケが好きでやっているのに、使命感でやっていたから、うれしいという気持ちを忘れていた。「勝てばうれしい」という感情を思い出せてくれたのはトムでした。

大崎

結果が出ると本当に気持ちが楽になりますよね。ずっと気持ちが張り詰めているから、シーズンの1年1年が本当に長いと感じるんです。こんなにも自分たちが練習しているのだから、自分たち以外にいったいどこが勝つんだという思いもあったし、それこそ、これだけやってきた練習を無駄にしたくないという思いがありました。それはプライドでもあり、責任でもあり。「やってきた練習は自分たちがいちばんだった」と自信を持って言えますね。

藤岡

これは個人的な意見なんですけど、私はずっと下剋上のチームにいたので、サンフラワーズのスタイルがあるとわかったうえで、「こんな戦い方もできる」「こんなのはどう?」とお互いの意見を合わせながら、もっとコミュニケーションを取ってやってみたかった思いがあります。自分はサンフラワーズという常勝軍団に入ってみて、はじめて勝つことが使命になって苦しくなりました。そういうコミュニケーションの質を高めることで、使命感にならずに、もっとバスケを楽しめてやれたのかなあ…と思うこともあります。それを含めてサンフラワーズではいい経験ができたと今では思います。

ファンのみなさまへ

最後にファンの皆さんにメッセージをお願いします。

吉田

入団した当時から応援してくれたファンの方たちがいたからこそ、14年間も走り続けることができました。自分自身も膝のケガをして復帰したこと、苦しことを乗り越えてきたことがたくさんあり、そんな自分自身にありがとうと言いたい。幸せな14年間だったと思います。その経験がこれからの指導者人生に生きると思っています。これからは次のチャレンジで第二の人生を歩みたいと思っているので、引き続き応援してもらえたらうれしいです。バスケットを通じていろんな選手に出会い、バスケットは楽しいよね、という思いを共有していきたいなと思っています。

大崎

私は日本代表にチャレンジして、引退を正式に発表できて本当に良かったと思っています。そこで、ファンの方から温かいメッセージをいただいて、こんなにファンの方に囲まれていたんだなと思いました。東京オリンピックに出るチャレンジをするにあたり、背中を押してもらったのもファンの方々です。でも、チャレンジが無理になってしまい、あきらめるという決断をしたときに「お疲れ様」という声をかけてくれて、こんなにファンの方って温かかったんだと感じました。東京オリンピックに出ることは、どうにもうまくいかなかったけれど、短期間でもチャレンジする姿を見せられて良かったと思います。最後にチャレンジできたことで、「バスケは面白い」「バスケが好きだな」と思って辞められたことに感謝です。バスケは面白いという思いが、現役時代よりも何倍も増して終えることができたので本当に幸せでした。

藤岡

自分はサンフラワーズに4年間しか在籍していないですけど、自分がそれまでやってきたチームのスタイルとはまったく違う経験をさせてもらいました。プレーヤーとしてもアジアカップやワールドカップに出場して、日本代表のユニフォームを着るという目標を達成できました。日本代表でもENEOSでも、ファンの人たちは熱狂的な方が多く、いろんなことをサポートしてくれたことに感謝しています。楽しいことばかりじゃなく、苦しいことのほうが多かったけど、今思うとその経験があるからこそ、今思う感情があります。今の自分にはサンフラワーズの4年間はものすごく必要で、絶対に無駄じゃなかった。サンフラワーズでプレーできて本当に良かったと感謝しています。

後編は「コーチとして歩む引退後の人生」について3人の対談をお届けします。

吉田亜沙美 Asami YOSHIDA1987年10月9日生まれ/東京成徳大高出身/165cm/PG

スピードを生かした絶対的司令塔として、長年にわたりENEOSと日本代表で活躍。ENEOSでは11連覇のすべてに貢献した選手。2013年、2015年のアジアカップではベスト5を受賞。ENEOSには14シーズン在籍し2020年春に退団。2021年1月、現役引退を発表。今春から東京医療保健大のアシスタントコーチに就任。

大﨑佑圭 Yuka Ohsaki1990年4月3日生まれ/東京成徳大高出身/183cm/C

フィジカルの強さを生かしたインサイドを軸にENEOSと日本代表で活躍。2013年のアジアカップではベスト5を受賞。ENEOSに9シーズン在籍し、2018年に出産のためにWリーグ登録を見送る。2020年2月のオリンピック最終予選で日本代表に復帰し、2020年8月に引退を表明。現在はENEOSバスケットボールクリニックでコーチを務める。

藤岡麻菜美 Manami FUJIOKA1994年2月1日生まれ/千葉英和高→筑波大出身/170cm/PG

視野の広さから繰り出すアシストとドライブを得意とする司令塔。U16~U19すべてのアンダーカテゴリー代表に選出されて活躍。筑波大4年次にはインカレ制覇、2017年にはアジアカップ優勝に貢献してベスト5を受賞。ENEOSには4シーズン在籍し、2020年春に現役引退。現在は千葉英和高のアシスタントコーチを務める。

文・写真:小永吉陽子

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