第8回優勝「V8 1995年(平成7年)第66回都市対抗野球大会」

V7の余韻が残る1994年は、中葉伸二郎監督の下、連覇を目指して推薦出場した都市対抗で一回戦負けし、日本選手権は本大会出場を逃す。そんな悔しさを晴らそうとスタートしたのが1995年のシーズンだった。

3月の東京スポニチ大会では、5試合で47得点、6失点という圧倒的なチーム力で優勝。都市対抗よりひと足先にV8を達成する。この年はアトランタ五輪のアジア予選を控えていたため、大久保秀昭、高林孝行ら日本代表候補は国際大会や2か月おきの強化合宿でチームを離れている期間が長く、その間に穴埋めをする選手も多くの出場機会を得られたため、チーム力が底上げされていった。

そうして臨んだ都市対抗神奈川二次予選でも、磐石の戦いぶりで第一代表決定戦に進出。ところが、東芝に4対13、日産自動車にも1対5で敗れ、いすゞ自動車との第三代表決定戦も4対4で延長に突入する。ようやく10回裏一死満塁から野島正弘がサヨナラ安打を放ち、冷や汗ものの代表権獲得となる。ただ、7月22日に幕を開けた第66回都市対抗野球大会では、春先から示してきた強さを存分に発揮する。

神戸市・三菱重工神戸との一回戦は、エースの高橋憲幸(現・北海道日本ハムスカウト)が先発。1回表に先制2ラン本塁打を許すも、その裏一死満塁から大久保の2点タイムリーで追いつき、渡邉博幸(三菱自動車川崎から補強=現・中日コーチ)の犠牲フライで逆転。その後、5対3で迎えた7回裏に、相手のミスにもつけ込んで一挙8点を奪い、13対3でコールド勝ちを収める。

2回戦、完封勝利を果たした
エース・高橋
二回戦は、41年ぶりの出場で、一回戦では東芝を倒す大金星を挙げた高松市・JR四国との対戦。1回裏に長短3安打で2点を先行すると、7回裏には7安打を集めて6点を奪う。このあとも1点ずつを奪い、先発の高橋憲は5安打でゆうゆうと完封勝利。10対0で2試合連続の7回コールド勝ちだ。金属バットのパワー全盛だった時代ゆえ、140キロ台中盤のストレートと落ちる変化球を駆使するのが、投手が活躍する条件と言われた。そんな中でも、高橋憲は絶妙なコントロールと緩急自在の投球でチームを勝利に導いていた。

準々決勝、3回裏に高林の2ラン本塁打を放つ新日本製鐵名古屋(現・日本製鉄東海REX)との準々決勝でも、打線は17安打と爆発する。1回裏に大久保の二塁打で2点を挙げ、2回裏は5安打に四球も絡めて4点。3回裏に高林が2ラン本塁打を放つと、続く4回裏にも3点を追加する。新日鐵名古屋も10安打を放って5点を返すが、8回裏に4点をもぎ取った時点で15対5。先発の春田政勝からの継投で高橋憲を温存でき、万全の形でベスト4に進出する。

準決勝の相手は、千葉市の川崎製鉄千葉(現・JFE東日本)だ。平成元年から10年間に日本石油は都市対抗で17勝を挙げたのだが、実は、川崎製鉄千葉も17勝でトップタイ。1993年の二回戦では0対10から8点を奪ったように、王者と互角に戦える力を備えていた。エースを担っていたのも、高橋憲と同じ技巧派左腕の須合哲哉。この二人が先発で投げ合い、引き締まった展開となる。

3回裏に高林の四球と野島の安打に盗塁を絡めて無死二、三塁とし、長谷高成泰(いすゞ自動車から補強=現・専大コーチ)の二塁後方のフライで高林が果敢に本塁を陥れる。5回裏には野島が安打、犠打、暴投で三塁へ進み、若林重喜の左犠飛で2点目を挙げる。スキのない日本石油の攻撃に対して、川崎製鉄千葉の打線は高橋憲をパワーで攻略しようと試みる。それを察知した高橋憲はボール球を振らせ、11三振を奪う頭脳的な投球で無失点を続ける。

7回裏に若林の二塁打で3点目を奪うと、高橋憲は9回表にソロを被弾して完封こそ逃したが、5安打1失点で完投した。機動力も生かした攻撃に、中葉監督は「それが、昨年までとは違う点」と胸を張った。

決勝戦、サラナラホームインする佐野
優勝の歓喜に沸く選手たち

決勝に勝ち上がってきたのは、福山市代表のNKK。長くライバルだった日本鋼管が、鉄鋼不況による合理化で1987年に日本鋼管福山と統合されたチームだ。スタンドに陣取る社員の中には「ハマの早慶戦」時代を知る人も多く、古くからの社会人野球ファンも因縁の対決と盛り上がる。3月の東京スポニチ大会一回戦でも対戦しており、大久保の2ラン本塁打で2対0と辛勝したが、エースの舩木聖士は、この年のドラフト1位で阪神へ入団する好投手である。

試合は点の取り合いとなる。NKK打線はボールに逆らわず、1回表に先発の春田、3回表には三菱自動車川崎から補強した左腕・安田武一(現・NTT東日本コーチ)から計4点を奪う。日本石油も5回までに1点差に詰め寄るが、7回表に五番手の新人・川村丈夫(現・横浜DeNAコーチ)が3ラン本塁打を浴びてしまう。

それでも、その裏に大久保が2点二塁打を放つと、8回裏二死二塁から高林が打席に入る。高林の打球は、詰まり気味のセンターフライ。だが、相手の中堅手の動きがおかしい。デーゲームで、東京ドームの天井に打球が消えたのだ。右中間でボールが大きく弾んだ時には高林は二塁を蹴っており、ランニング2ラン本塁打で同点となる。常に全力疾走するのが日本石油野球部の伝統だが、こうした場面を何度も経験しているからこそ、この伝統は受け継がれているのだ。

果たして、7対7で延長に突入した試合は、10回裏に一死一、二塁と攻め、野島が二塁手の右へ痛烈なゴロを打ち返す。ライト前へ抜けるかと思った瞬間、二塁手が飛び込んで好捕するも、二塁ベースカバーに入った遊撃手への送球が逸れ、その間に二塁走者の佐野由幸がバンザイをしながら生還。劇的な幕切れで、2年ぶり8回目の優勝は達成された。

橋戸賞に選ばれた高橋橋戸賞の高橋憲は、2年前の優勝時はベンチ入りできず、東京ドーム外周の受付で招待券を配っていた。だからこそ、この年は「最後かもしれない」と覚悟して臨み、背水の陣からの栄誉を手にした。そして、翌1996年には川村と先発の二枚看板となり、都市対抗ベスト4入りに貢献。川村や大久保とともにプロ入りするのだ。

表彰式の様子

【大会戦績】

1回戦13-3vs 三菱重工神戸・神戸市
2回戦10-0vs JR四国・高松市
準々決勝15-5vs 新日本製鐵名古屋(現・日本製鉄東海REX)・東海市
準決勝3-1vs 川崎製鉄千葉・千葉市
決勝8-7vs NKK・福山市

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