第7回優勝「V7 1993年(平成5年)第64回都市対抗野球大会」

1986年の都市対抗優勝時にコーチだった林 裕幸が、1989年から監督に就任。この年から2年続けて社会人野球日本選手権大会で準優勝すると、1991年には悲願の初優勝を果たす。さらに、1992年には都市対抗でベスト4と、いつ7回目の黒獅子旗を手にしても不思議ではないという戦力が整ってきた。
「あえて自分で言えば、コーチ時代は本当に汗をかいた。そして、強いチームを作るには優秀なコーチが必要なのだと痛感しました。だから、監督になった時は心から信頼できるコーチを置いた。しっかり練習させてくれますから、チーム力も確実に上がってきました」

1993年の都市対抗神奈川二次予選では、東芝と日産自動車が敗れるという大波乱が起き、第一代表の日本石油は、5名の補強選手をすべてライバルの東芝から獲る。そんな戦力で「神奈川ドリームチーム」と呼ばれたが、打順と守備位置をどうするかで林監督は悩んだという。
「二番打者が決まらなくて……。そうしたら、石崎栄司マネージャーが『指名打者で平田(望)さんを入れればいいんじゃないですか』って。ピンと来ましたね」

二塁手の平田が足に不安を抱えており、念を入れて東芝の二塁手・葛城弘樹を補強したが、守備がなければ本来は二番の平田をそのまま起用できる。林は「あとは監督の采配次第」と、肝に銘じた。組まれた打線は、前年のバルセロナ五輪で日本代表の四番だった徳永耕治が、控えにまわるほどの凄さだった。

1回戦、3回裏に3ランホームランを放つ大久保第64回都市対抗野球大会は、7月21日に開幕。大垣市・西濃運輸との一回戦では、先発投手に東芝から補強したルーキー左腕の須田喜照を起用。立ち上がりに1点を失ったが、新旧の日本代表を並べた日本石油のメガトン打線は、その裏に1点を取り返すと、2回裏には谷口英功(現・英規=上武大監督)のソロ本塁打で勝ち越し、3回裏には須田を巧みにリードしている大久保秀昭(現・監督)に3ラン本塁打が飛び出す。その後も、谷口の2本目、リードオフの高林孝行にもダメ押し弾と、4本のアーチで10-2と会心のスタートを切る。

打てそうで打てなかった
アンダースローの春田政勝

千葉市・川崎製鉄千葉(現・JFE東日本)との二回戦では、勝負の怖さを思い知らされる。1回裏に四番・若林重喜の3ラン本塁打で先制し、2回にも若林の2点タイムリーなどで6点をリード。さらに、5回裏には谷口の3号3ランから4点を奪う。一方、先発を任されたアンダーハンドの春田政勝は、緩急自在の投球で6回まで無失点の好投を見せる。

だが、無得点に抑えればコールド勝ちとなる7回表に1点を失うと、続く8回表には川崎製鉄千葉が猛反撃に転じ、何と7点を奪われてしまう。最後は須田を投入して10対8で逃げ切ったが、林監督は「逆転されるのも覚悟した。勝てて本当によかった」と汗を拭った。余談だが、川崎製鉄千葉は翌1994年の二回戦で、0対8だった試合を12対11の大逆転でものにしている。

門真市・松下電器(現・パナソニック)との準々決勝も、紙一重の勝負だった。5回表までに5対0とリードしたが、5回裏に3点、6回裏にも2点を献上して同点に。振り出しに戻ってしまう嫌な展開だったが、7回表に二死満塁のチャンスを築くと、好調の谷口が初球をバックスクリーンまで運ぶグランドスラム。9回表にも谷口の三塁打で1点を加え、10対5でベスト4に進出する。神奈川第二代表のいすゞ自動車、第三代表の三菱自動車川崎も勝ち上がり、神奈川勢3チームが4強入りした。

準決勝、この試合3本塁打を放ち、
史上5人目のタイ記録を樹立
準決勝は、川崎市・三菱自動車川崎との神奈川対決。先発の春田が6回途中までに6失点するも、強力打線が跳ね返した。2点を先制された直後の2回表、葛城の2ラン本塁打で追いつくと、続く谷口が5号の逆転弾。さらに、3回表に高林の2号ソロなどで4点を加え、4回表にも1点、6回表には高林の3号ソロなどで2点を追加する。とどめは8回表、高林がこの試合3本目となるソロ弾を放つと、若林も2号2ラン。13対6とリードを広げ、4投手のリレーで反撃を防いだ。

さぁ、7年ぶりとなる決勝の相手は、浦和市(現・さいたま市)の日本通運だ。1回表、先頭・高林の左前安打から一死一、三塁とし、若林の右犠飛で幸先よく先制。続く2回表には、伊藤義樹の2ラン本塁打でリードを広げる。3回裏に日通が1点を返すと、4回表には主将の坂口裕之がタイムリーを放って1点を取り返す。だが、その裏にソロ本塁打、続く5回裏には二死からの2ラン本塁打で、日本通運が同点に追いつく。

決勝戦、5試合連続6本目の本塁打を放ち、
ガッツポーズで本塁に向かう谷口
互いにリリーバーが踏ん張り、8回表に谷口の6号ソロ本塁打で勝負ありかと思われたが、日本通運も9回裏に二死一、三塁のチャンスを作り、ここで日本石油にとっては痛いエラーが出てしまう。土壇場で5対5の同点となり、なお二死一、二塁で一打サヨナラの場面。だが、林監督はベンチで微動だにしなかった。
「この時のチームは『優勝したい、優勝するぞ』ではなく、優勝するものだと思ってやっていた。確かにサヨナラ負けのピンチだが、そこで監督がバタバタしたら、選手にも伝染してしまう。もう腹を括って大会に臨んでいるから、選手を信じていました」

何とか後続を討ち取り、決勝としては19年ぶりの延長に突入する。決着させたのは11回表だった。二死から右前安打で出た坂口が、リードを取りながらベンチに「走れる」というサインを送る。そして、若林のカウント2ストライクから果敢に二盗を成功させると、若林が死球で歩き、続く大久保が右前に勝ち越しタイムリー。葛城も中前に弾き返して2点をリードし、その裏の一死一、三塁を凌いで7年ぶり7回目の優勝に辿り着いた。橋戸賞と首位打者賞には谷口、若獅子賞に須田と、個人賞は東芝の補強勢が独占したが、表彰式を終えた谷口は神妙な表情でこう語った。
「チームに合流してから、何の不安もない環境でプレーさせていただいた日本石油に感謝します。特に、同じ一塁手の徳永さんが、練習から日常生活までバックアップしてくれました。ある夜、徳永さんがひとりで、室内練習場で打ち込んでいるのを見て、試合に出ている僕が絶対に打たなければいけないと強く思った。日本石油は本当に素晴らしいチーム。今度は、僕たちが倒せるように頑張りたいです」

また、港湾都市・横浜のカラーを前面に出した応援により、応援団コンクールでも最優秀賞。黒獅子旗とのダブル受賞は、1967年に次ぐ2度目である。

V7を達成した野球部と、応援コンクール「最優秀賞」V2を達成した応援団

【大会戦績】

1回戦10-2vs 西濃運輸・大垣市
2回戦10-8vs 川崎製鉄千葉(現・JFE東日本)・千葉市
準々決勝10-5vs 松下電器(現・パナソニック)・門真市
準決勝13-6vs 三菱自動車川崎・川崎市
決勝7-5vs 日本通運・浦和市(現・さいたま市)

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